寛解の連続

ある暇な日、YouTubeを観てた。 自分が生まれる前のライブ動画、都市伝説になってる放送事故、誰かが勝手にアップしたなかったことになってるドラマ。次はなんにしよっかなーと指をすべらせたら、『寛解の連続』という言葉と、どこかで見たことある横顔が目に入った。3分5秒のその動画は、喜怒哀楽がパンパンに詰まっていた。カロリー高っかいな オイ!と観ていたら、都築響一の著作『ヒップホップの詩人たち』で私が胸を鷲掴まれた、小林勝行のドキュメンタリー映画の予告編だと知った。

すぐにタイトルをメモり、暇な時に検索してみた。割とすぐに上映会を知り速攻で予約。とにかくその日を待った。楽しみに待ったとはとても言えない。だってそれくらい、小林勝行の言葉は本当に本当だから。触れるのが少し怖かった。

上映会の日、会場のバーの入口に小林勝行がいた。人懐っこい笑顔で「ありがとう、ありがとう」と繰り返していた。それは、"かっつん"そのものだった。抱えてた少しの不安がどっかにいった。

上映が始まった。映画『寛解の連続』は、冒頭のライブシーンから私をぶっ飛ばした。 よくこれを使ったよなって言う人は言うであろうひどいライブシーン。リリックよりも観客の話し声の方が目立つようなライブシーン。音もひどい。だけど、目が離せない。私はまばたきもせずに、字幕よりもステージでジタバタする小林勝行を追っていた。気づいたら、佳奈、佳奈って一緒に呟いていた。

そこから映画は彼の日々を追う。予告編以上に喜怒哀楽がパンパンで、あらゆる感情が渋滞を起こしていた。映画の中で小林勝行は、やっぱり人懐っこく笑う。でも、次の瞬間に鼻水垂らして泣く。文字通り無様に泣く。カメラはすべてそのまま撮る。壊れたのか、壊したのか、壊されたのか。問うのではなく答を探すのではなく、丸ごとの小林勝行のためだけにカメラが回る。そして自分のためだけに回るカメラの前で、本当に本当のことしか言わなくなる。もっともっと無様に泣く。言いたくないことを言わなくなる代わりに、普通なら言わないことを言う。家族のこと、病気のこと、宗教のこと、佳奈のこと。

ラストで『オレヲダキシメロ』を歌う小林勝行は、やっぱりジタバタしていた。だけど冒頭のようなジタバタではなかった。意味や意図以外のどこかで、彼の中にいつも鳴り響いている感情が言葉になっていた。あの黒いボールペンが言葉にした。

そんな小林勝行が丸ごと真空パックされた作品の上映後のトークイベントは、ヒリヒリした感情の渋滞とは無関係な、とても柔らかい雰囲気で始まった。